永井荷風3

一 詩歌小説は創意を主とし技巧を賓とす。技芸は熟錬を主として創意を賓とす。詩歌小説の作措辞老練に過ぎて創意乏しければ軽浮となる。然れどもいまだ全く排棄すべきに非らず。演技をなすもの紊に創意する処を示さんとしてその手これに伴はざれば全く取るなきに了る。翻訳劇を演ずる俳優の技芸の如き、あるひはまた公設展覧会の賞牌を獲んとする画家の新作の如き即ちこれなり。
一 角力取老後を養ふに年寄の株あり。もし四本柱に坐する事を得ばこれ終を全くするもの。一身の幸福これより大なるはなけん。小説家その筆漸く意の如くならずその作また世に迎へられざるを知るや転じて批評の筆を取り他人の作を是非してお茶を濁す。事は四本柱の監査役と相同じくしてその実は然らず。一は退いて権威いよいよ強く一は転じて全くその面目を失ふ。

 震災の後上野の公園も日に日に旧観を改めつつある。まず山王台東側の崖に繁っていた樹木の悉く焼き払われた後、崖も亦その麓をめぐる道路の取ひろげに削り去られ、セメントを以て固められたので、広小路のこなたから眺望する時、公園入口の趣は今までとは全く異るようになった。池の端仲町の池に臨んだ裏通も亦柳の並木の一株も残らず燬かれてしまった後、池と道路との間に在った溝渠は埋められて、新に広い街路が開通せられた。この溝渠には曾て月見橋とか雪見橋とか呼ばれた小さな橋が幾条もかけられていたのであるが、それ等旧時の光景は今はわずかに小林清親の風景板画に於てのみ之を見るものとなった。
 池の端を描いた清親の板画は雪に埋れた枯葦の間から湖心遥に一点の花かとも見える弁財天の赤い祠を望むところ、一人の芸者が箱屋を伴い吹雪に傘をつぼめながら柳のかげなる石橋を渡って行く景である。この板画の制作せられたのは明治十二三年のころであろう。当時池之端数寄屋町の芸者は新柳二橋の妓と頡頏して其品致を下さなかった。さればこの時代に在って上野の風景を記述した詩文雑著のたぐいにして数寄屋町の妓院に説き及ばないものは殆無い。清親の風景板画に雪中の池を描いて之に妓を配合せしめたのも蓋偶然ではない。

 余かつて仏国より帰来りし頃、たまたま芝霊廟の門前に立てる明治政庁初期の官吏某の銅像の制作を見るや、その制作者は何が故に新旧両様の美術に対してその効果上相互の不利益たるべきかかる地点を選択せしや、全くその意を了解するに苦しみたる事あり。余はまたこの数年来市区改正と称する土木工事が何ら愛惜の念もなく見附と呼馴れし旧都の古城門を取払ひなほ勢に乗じてその周囲に繁茂せる古松を濫伐するを見、日本人の歴史に対する精神の有無を疑はざるを得ざりき。泰西の都市にありては一樹の古木一宇の堂舎といへども、なほ民族過去の光栄を表現すべき貴重なる宝物として尊敬せらるるは、既に幾多漫遊者の見知する処ならずや。然るにわが国において歴史の尊重は唯だ保守頑冥の徒が功利的口実の便宜となるのみにして、一般の国民に対してはかへつて学芸の進歩と知識の開発に多大の妨害をなすに過ぎず。これらは実に僅少なる一、二の例証のみ。余は甚しく憤りきまた悲しみき。然れども幸ひにしてこの悲憤と絶望とはやがて余をして日本人古来の遺伝性たる諦めの無差別観に入らしむる階梯となりぬ。見ずや、上野の老杉は黙々として語らず訴へず、独りおのれの命数を知り従容として枯死し行けり。無情の草木遥に有情の人に優るところなからずや。